天才とは勇気ある才能である

ライトノベルをはじめとする大衆文学、アニメ、ロックをこよなく愛すオタク。

ライトノベルに於けるオルタナロック引用 ~天使の3P!6巻~

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天使の3P!

文学作品に於ける音楽の引用は非常に多い。村上春樹はその代表であり、彼の作品を読んでジャズを知った人も多いだろう。

さすれば大衆文学は音楽の引用をどのように扱ってきたのか? ライトノベルに於ける音楽の引用ということで今回の記事を書いている訳だが、今回は言わずと知れたロックンロール・ロリポップ・シンフォニーな作品「天使の3P!」6巻を取り上げたい。

本巻では、主人公バンドのリヤン・ド・ファミユが音楽上目標を喪失した中、バンドが徐々に瓦解していく。それに対し、ライバルバンドである、Dragon≒Nutsは自らの音楽上目標(それは「もっと上手になりたい」という短絡的なモノだが)を見つける。今まで、思い出づくりをするためにバンドをするという目標からライブハウスの経営費を集めるためという金銭上の目標に変わってしまい、その違和感を感じていたリヤン・ド・ファミユのメンバーたちは最終的に音楽は楽しめればそれでいいということを再認識してみんなの笑顔のために音楽をやることを決め本巻は決着。というのが6巻の大まかなあらすじである。

今回のロック要素として登場するのはオルタナバンド「Smashing pumpkins」である。Dragon≒Nutsは作品内でスマパンの「Tonight,tonight」

youtu.be

をリヤン・ド・ファミユに対して演奏するのだが、ふとここで疑問が浮かぶわけである。それはなぜスマパンのTonight,tonightを演奏する必要性があったのかという単純な疑問である。つまりなぜスマパンが引用されたのか。

一つは、Nutsのバンド編成である。ボーカル(バリトンギター)、キーボード、打ち込みドラム(トラック)という編成。もし彼女たちがカバーバンド行うならば、王道編成のスマパンなどではなくて別に、他のバンドも可能だっただろう。(あり得るとするなら、6巻で同じく登場するNine inch nailsをカバーなどーとはいえ3Pバンドがこの編成をしている時点でカバーできるバンドには限界があるが、そこは漫画なので厳しく追及することは止めておく)

また、Tonight,tonightは有名だが、他にも1979やZero、Todayなどスマパンの名曲は存在する。ピアノに仕事をさせたいならDisarmだって良い(この曲はストリングスも必要になる、しかしそれはTonight,tonightも同様)。もしも作者がスマパンのファンだったなら別にほかの曲でも良かったのではないだろうか?

話が戻るのだが、村上春樹の音楽の引用についてはその引用が作品内で作者の意図ないしは物語背景を表象しているということが度々述べられてきた。(阿部翔太氏の「村上春樹ノルウェイの森』論ー反復する物語と音楽ー」)

となると、ここで興味を惹かれるのは、「ならば蒼山サグも何らかの意図を持って彼女たちにスマパンを演奏させたのではないか」ということである。つまり今回の目標はその引用についてある種の理由つけをすることだ。

まず、シーンを再確認する。先に書いた通り、このシーンは音楽上目標を失ってしまったファミユ達に対し、ライブハウスでめきめき上達を見せていったNutsがファミユ達を招いたライブでスマパンのコピーをする。というものである。つまり、この曲にメッセージ性が存在すると考えたほうがよいだろう。作中でも

『Tonight,tonight』が、まさにいまこの瞬間しかないというタイミングで、ステージを見つめる僕たちの全身に深く染み渡っていった。

 と述べられるわけだから、作中でのこの曲の立ち位置は確かにこの瞬間のこのシーンに於いて演奏されなくてはならない、曲として流されなくてはならないという重要な役割を果たしているのだ。

では、まず「Tonight,tonight」の歌詞からそのメッセージ性を読み解きたい。

(こちらのサイトから歌詞の和約を参考にした。)

blog.livedoor.jp

歌詞の内容は「時間は止まることなく物事は変わりゆくんだ。不可能は可能になるかもしれないから信じて」という内容。この曲は、どうやらビリー・コーガン自身の少年時代の虐待経験から同じ境遇の子供達にエールを送る歌だとされており、確かに、ファミユのメンバーはみな児童養護施設の子供達であることから、そういった線も考えられるが、薄いだろう

とすると、重要なのはやはり歌詞の方だろう。

And our lives are forever changed We will never be the same(僕たちの生活は変わることのないものではないし、同じままじゃない)

この歌詞が重要なキーなのであり、この歌のテーマだろう。

サビはBelieve, believe in me, believe, believe(だから信じるしかない、僕を信じるしかない)

   We're not the same, we're different(僕たちは同じじゃないし、違うんだ)

という訳でテーマは移りゆく時間と自己(自我)と考えるのが妥当である。

それでは、Nutsからファミユへの「いつものままって訳じゃいかない。変わるときが来るんだ。でもそれは悪いことじゃないんだよ」というエールソングとしてこの歌がカバーされ、そしてこのシーンに配置されたのだろうか。

重要なのはライブ終わりのシーンである。ファミユのギターである五島潤がNutsの尾城小梅に対し、自分はなぜそこまで音楽を頑張れるのか問うシーン。小梅はその問いに対し、音楽が楽しいから頑張れると答え、また次のように答える。

『ま、私は私、あんたらはあんたらよ。心配しなくて良いーっていう言い方で合ってるのかわからないけど、私はしばらく音楽やめないから。たとえあんたらがどうなろうと、ね』

自分たちは自分たちのやりたいように音楽をやっていく。確かにこの6巻は副主人公的ポジションのDragon≒Nutsが武者修行をするという展開が4章構成の2,3章で展開される。

それならばTonight,tonightが歌われたのはやはりエールソングとしての立場ではなく、ライバルバンドであるリヤン・ド・ファミユに対し、離別し自分たちの道を進むという決意表明としてとらえる方が正しい。変わっていくのは自分たち、だからこの音楽というチャンスで変わるんだという決意が込められたからこそ、このシーンにおいてTonight,tonightが歌われたのではないだろうか。

そう考えると彼女たちがあえてスマパンのこの曲をカバーしたのが作者による偶然の産物というより必然の意図として考えることができるのではないか。